2012.2.6
振り返ってみると
一番感動したことって
一番感謝していた時って
一番気持ちよかった時って
全部セットでやって来ていた。
幾つかあったけれど
最初の事例は自分でもびっくりしたことなんですが
昔まだ若いころ(?)
左から曲がってくるバイクと接触事故を起こしました。
バイクはこちらのバンパーを吹っ飛ばしながら
一瞬のうちに遠くまで飛ばされ
ドライバーも飛ばされました。
曲がってくる寸前にハッと気が付きましたが
遅くて接触したのです。
場所的に自分の方が悪いことは判りました。
同時にドライバーがかなり飛ばされていったので
大変な事になったと思いました。
その時に
自分がこの先どういう状況になっても受け入れる!
すべてを受け入れると決断しました。
同時に
すべてのプライドを手放しました。
運命に明け渡した感覚でした。
腹が座って「まな板の上の鯉」の感じで
道の向こう側に投げ出されたドライバーの元へ走りました。
この段階で実はとても気持ちが良かったのが不思議でした。
幸いにも意識もしっかりしていて
すぐに救急車も来て病院へ連れて行かれました。
残った自分は警察の現場検証を受けていました。
その間は不謹慎にも「何故かすごく気持ちの良い状態でした」
明け渡し状態の自分は何もない状態で
囚われも心配もない状態で
ただただ気持ちが良くって
「最後にはこんな風に全てを手放せる自分なんだ」
「やっと解った」
「何も心配いらないんだ」
「生きていることはこんな幸せな気持ちが共に在ったんだ」
「いのちは創造主(この時はただ時空全てと思った)の
愛の中で存在だけしているんだ」
そうこうしているうちに
病院からはドライバーはなんと歩いて現場に帰って来ました。
人身事故のはずが物損事故扱いにもなりました。
大変な事故を起こしながら
自分のこころは静かで穏やかで感動していました。
それらがまるごと気持ちよかったことを
覚えています。
何週間も気持ちが良くって
満員電車の中でも気持ち良くって
何をしても
感謝していて
感動している自分に
その時、初めて出会いました。
それ以来
自分は死ぬ時には
全て手放せるなと思えています。
放棄(Surrender)することが出来るって思えています。
このある種とても強烈な経験をしてから
生きていることは
何も心配なんか無くて
もし心配や恐れや恐怖があるとしたら
こころや頭が何かに囚われているからで
囚われを手放したら
本来「いのち」そのものは
存在しているだけで
幸せ状態なんだと
思えるようになりました。
感謝は気持ちが良い感動と共に沸き上がり
セットで存在してきます。
その存在に気がつけば益々感謝です。
永久モーターです。
きくち寛作詞作曲作品「天も地も」から
握り締めていたものを 軽く手放せた時に
すがすがしくて気持ちが良くて 見るものすべてが輝いた
傷ついて失うものなどは、何も無いと気づいた時に
初めて人は優しくなれる 本当の自分がそこにある
愛すること許し合うこと 与えきること受け止めること
命はいつも私の中で 歌っていてくれたじゃないか・・・